ぶらぶら散歩1<日本庭園>

『オセロー』の公演が行われるのは、本館浦の日本庭園。ここは鬱蒼と繁る木立の中に池を中心に、転合庵、六窓庵、春草廬、応挙館、九条館と移築された5棟の建物が点在します。残念ながら、内部は一般公開はされていませんが、外観の美しさと時間の流れを味わってみいてはいかがでしょう。

◎転合庵……小堀遠州が京都伏見の六地蔵に立てた茶室。後に大原寂光院に移築され、昭和38年10月に塩原千代より寄贈され、現在の場所に位置を定める。

◎六窓庵……慶安7年(17世紀中頃)、奈良の慈眼院に建てられたもので、明治10年に解体修理の上、ここに移築された。第二次世界大戦中、一時解体され、疎開したが、昭和22年に数奇屋師・木村清兵衛によって再建された。

◎春草廬……江戸時代、河村瑞賢が摂津淀川改修工事の際に休憩所として建てたもので、大正4年に松永安左エ門が埼玉県所沢市の別荘、柳瀬荘に移転した。昭和23年、柳瀬荘全体が寄贈され、昭和34年にこの建物のみが現在の位置に移築された。

◎応挙館……寛保2年、名古屋市郊外の明眼院の書院として建築された建物で、明治20年、東京品川の益田孝邸内に移築された。室内には丸山応挙が明眼院に眼病で滞留した際に描いた絵が残り、応挙館の名の由来となっている。昭和8年、益田より宮内省に献納され、同11年に現在の位置に移築された。

◎九条館……京都御所内九条邸にあったもので、東京赤坂の九条邸に移され、昭和9年、九条道秀により寄贈され、同11年にここに移築された。床張付、襖などに四季を配して描かれた山水図は京狩野派の始祖、狩野山楽・山雪の筆と伝えられる。平成元年春、補修工事を終えて、外観が一新された。カリンの一枚板に藤花菱を透かし彫りにした凝った意匠の欄間が印象的だ。